「おう、早かったな。コーヒーでいいかな」
ドアを開けきらないうちに、遼平の言葉が飛び込んできた。
「それしか、ないくせに」
そう言って、幸恵はテーブルの上の、吸殻が山となった灰皿を指差し
「ヘビースモーカーな上に、コーヒー中毒。絶対、病気になるわよ」
脱いだコートをソファーの背にかけた手で、そのまま灰皿を持って
小さなステンレスの流しに行った。
(私、話が本題に入ることが怖いのかしら)
蛇口から流れ出る水で灰皿を洗いながら、思わず小さくため息を漏らしたが、
振り返ると、彼は煙草をくわえたままぼんやりと窓の外に顔を向けている。
「もう、言うてるそばから火をつけてるんだから」
幸恵はわざと、ゴトンと鳴るよう、彼の目の前に灰皿を置いたが、
それを気にした様子は見せずに、落ち着いた声で、話を切り出した。
「今更こんなこと聞くのもなんやけど」
「うん」
「俺は、幸恵と楠原聡子の関係をどう理解したらええのかな」
「え?」
「楠原聡子の、いや、その家の内情を、幸恵が知ることに対して
彼女がどの程度までをよしとしているかなんや」
(確かに・・・)
ただのご近所同士にすぎない私には、むしろ知られたくないことの方が多いかもしれない。
しかし、脳裏には彼女が仏壇の前で語った最後の言葉が蘇ってきた。
"お願いします。私にとって、幸恵さんのご好意に甘えさせてもらうことが、
こんな老いぼれの生きる望みに繋がっているんです"
幸恵は顔を上げ、挑むような目で遼平を見たが、
「彼女にとって、私は近所の知り合いでしかないのは事実よ。それでも
私を頼るしかなかったの。それくらい追い詰められていると思う。
そんな人を放ってはおけないじゃない。せめて真実を知らせてあげたい、
ただそれだけよ」
そう静かに口を開き、コーヒーを啜った。
「よし、わかった。だが、俺は仕事としてドライになれるけど、幸恵はそうじゃない。
もし、楠原聡子に直接伝えにくければ、代わりに俺が会って話をするから」
そして、テーブルの上に一冊の週刊誌を放った。