これは、ブックバトンのお返事と変えさせてもらいます。
なんとかこれでご勘弁を(笑
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作家、宮本 輝氏の作品「道頓堀川」を、先日また読み返していた。
初めて手にしたのは3年程前だったと思う。
「泥の川」「蛍川」に続く川三部作の最終章としての作品が「道頓堀川」である。
それぞれの作品の中に生きる登場人物の庶民的な生活の中に、
息づく躍動感を感じるのは私だけだろうか。
作者が描きだしているのは、決して意欲と夢と希望に満ち満ちた明るい土地ではなく、
むしろ高度成長をひた走る時代だった日本とは、川を隔てた向こう岸に存在する
殺伐とした風が常に吹きすさんでいるような一角であり、住人達である。
自分の身の上や、過去、そして明日。そのどこからも、地に根を張る生の力強さというより、
川の底で揺れる草のような危うさを感じてしまうのだ。
そこを安住の地としたくないならば、いっそ川の流れに身を任せていけば
いつかは広大な海へと辿りつくだろう。
だが人生とはそう簡単にはいかず、そしてそれが現実である。
だからこそ、人はたとえそれが投げやりたくなるものであっても、
その中に自分なりの幸福を見つけ出そうと模索し続けて生きていく。
作者が描き出す、人物の感情の起伏の表現力と情景描写の素晴らしさに助けられ、
想像を絶えさせることなく、読むことができた。
宮本氏の他の作品においても、得にこの技術に長けてらっしゃる点にいつも感心させられている。
ここで最初に戻るが、この作品を読み返したのには理由がある。
それは、一本の線となりつながっているはずの、私自身が歩んできた過去の隙間の、
どこにも当てはめることができない奇妙な記憶の点が、この作品を読んだ後、
頭の中に色濃く浮かび上がりだしたことから始まる。
それからずっと気にはなっていたが、今まで詮索をするのは無駄ということにしておいた。
書評を苦手とする私だが、「ぐたさん」と「kankanさん」にブックバトンを手渡されたまま放っている心苦しさも手伝って(笑)、なんとか一つだけでもと重い腰をあげながら、ふと考えた。
私のこの記憶を書いてみるのはどうかと。いえ、別に大層なことではないですけど。
今夜はここまでとして、続きは明日か明後日に書かせてもらいます。
肝心の「道頓堀川」について、まだ少しも触れていませんので、そこからですね。
ここ最近の夏バテのせいか、体力が持たなくてすみません。